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ブログ
2018-03-25 | ブログ記事

書道用下敷き「こめじくん」

日本で使われている罫線入り書道用下敷きは、縦横罫線の入ったものです。中国では斜線罫線が加わったものです。理由は、書道に重要視される45度という角度が斜線によってわかりやすいこと。そして、斜線罫線が加わることで長短の比較もできることです。
初めて上海でこの罫線を見たとき「どうして日本になかったんだろう?」と不思議に思ったほどでした。実際、使用してみると自分が書きやすいだけではなく、指導するときも理解してもらいやすいことに気付いたのです。
「こめじくん」として細字用半紙にも印刷しましたが、下敷きについては今まで縦横罫線を作っておられた会社にお願いしました。書道人口が増えることが、書道用下敷きを作り続けてきた会社にも喜んでいただけることにつながればと思ったのです。
「同じ値段ならどっちを使う?」左払いの角度が定まらない!文字のバランスがとりにくい!など、お悩みの方は一度試してみていただけませんか?
まとめ買いをしていただける場合は、リンク先の「門田商事」へご連絡いただければ割引もご相談させていただきます。
2018-03-18 | ブログ記事

書は人を表すのか?

昨年3月18日、最期を家で迎えたいという父の希望を叶えるため、24時間往診専門医と訪問看護師さんたちに支えられて、父は家で息を引き取った。父の葬儀を終えて、5月5日の四十九日までに「南無阿弥陀仏」の掛け軸を用意するため、葬儀後、すぐにとりかかった。
父が息を引き取るのに立ち会うまでの日々は、極限まで自分を追い詰める日々でもあった。その後のさまざまな手続きをしながら、「四十九日までは」と張りつめていたように思う。そんな気持ちを抱えながらこの字を書いた。なぜか「強くかかなくては・・」と思っていたように思う。自分の寂しさや悲しさを隠すように・・
そして出来上がったこの軸を見たとき「なんて寂しい・・」と愕然とした。あれだけ頑張ったのに、頑張ったつもりだったのに・・どうしてこんなに寂しい字なんだろう!と涙が出た。
書は人を表すのか?と聞かれることがあるけれど、私にはわからない。ただ、書いた人の気持ちが書に表れるということだけは確かだと思う。この掛け軸は、今日までずっと掛けていた。一周忌を迎えて「あの時は確かに悲しくて心細かった」という自分をやっと認めることができるようになった。
明日は別の軸を掛けよう。とりあえず父が生きていたころのものをかけ、また私が書きたいと思ったものを書いて飾ろう。父の大好きなこの家の床の間に・・
2018-03-18 | ブログ記事

福山大学講師学院設立10周年記念書画展

日本の書展の多くは、指導者の書風を反映したものが多く、会場は似たような作品が多い。今回の上海からの書道作品は、古典の臨書から始まっているため、書体が様々で多くの人が自分の気になる作品の前で足を止められていた。 また、水墨画でも中国画は日本の写術的な要素よりも「写意」に重きを置いたものが多く、私の水墨画の師である張治清先生は言う。「池尻さん、葉っぱの枚数数えなくていいですよ!」と。 日本の写真を写したような水墨画も素敵だが、私には中国画が性に合ってる。背景や余白をどうするか?自分で考えることができる時間が楽しい。今回は「人物」の水墨画を出品させていただいた(水墨画作品にアップしています) 書も絵も、日本ではあまり見られない書画展になり、1週間で800人近くの人に入場いただいたことは、これからの励みとなった。
2018-03-01 | ブログ記事

「STOREHOUSE」掲載記事

【59歳で書家になった伯母】
「ここが私の書道部屋」
そう言って通されたのは、伯母が祖母と住む日本家屋の一室。ほのかな墨の香りに懐かしさを感じた。物心ついた時から“先生”というイメージであった伯母。定時制高校や特別支援学校に教員として勤めた。
「麦茶どうぞ」
よく学校でのさまざまな体験や生徒たちの話を聞かせてくれていた。そんな伯母が「書家」になったと聞いたのは2年前のことだ。書家の定義とは【中国古来からの云われ】――「漢詩が詠(よ)める」「書が書ける」「画(え)が描ける」「印が彫れる」こと。現在は本場中国でも日本でも、それぞれ分業になってきたようだ。伯母は、そのすべてを日々取り組んでいる。壁にかかった「没作品」という楷書が400字ほど書かれた作品について、こう説明してくれた。
「これは4時間くらい。書き始めたらご飯も忘れて書くよ。途中で止めたら墨の濃さ字も変わるしね」
「3年間、2ケ月に一度の上海通い」
伯母は全力で33年間教員を続け、身体を壊した。昔から何事にもまっすぐ向き合い、はっきりとものを言うタイプだ。安静を求められる中、時間を無駄にしたくないとカルチャースクールのチラシを見て、通い始めたのが田中蘆雪先生の書道教室だった。この出会いを皮切りに、伯母の運命は変わっていった。書に関心を抱きつつも、体は教職に復帰することが難しいまでに悲鳴を上げていた。
教員退職の前月、福山大学福山孔子学院で行われた2日間の水墨画講座を受けた。このとき蘆雪先生を交えて講師であった上海師範大学の張信教授に出会った。
「上海の書道界トップである張先生に『よければ私のところに勉強に来ませんか?』と言ってもらって。作品を評価されたというより、相性が合うと感じてくれたみたいじゃね。退職のタイミングでもあったし、その場で『行きます』って返事したんよ。今思えば無謀だったね(笑)」
2ヶ月に一度のペースで上海に通い、張教授からマンツーマンのレッスンを受けたのだという。話せなかった中国語も必死で勉強した。それから3年間が過ぎ、ようやく師範となる許可を得て、書家「池尻琇香」が誕生したというわけだ。59歳だった。
「商売には向いとらんのんよ」
晴れて書家になった伯母は、張信教授の編集した中国の小学生書道教科書を、著作権契約を結び日本人向けに出版した。筆先の運び方が分かりやすく記され、日本にはこれまでなかった「米字枠」【縦横の垂線中央を通る45度の斜線を2本加えた練習枠】は、角度や長さの目安となり文字のバランスが取りやすいのが特徴だ。「せめてのし袋や自分の住所・名前を小筆できれいに書きたい!」という大人たちの意見も多く、独学の参考になるものを作りたかったという。
また、「小学校の書道授業指導で、書道経験のある教員は少ないの。だから、この本を小学校の先生たちの研修で使ってほしいと思ってるんよ」と、教育への思いは違った形で残り続けている。
張教授の指導は一区切りついたが、上海の国際書道コンクールへ日本人学生の出品依頼を受けるなど、中国と福山市との橋渡し役も担う。体を壊し、職を退いたとは思えないほど精力的に活動する伯母は、「作品を売るよりも、『自分の家のここに、こんな文字を飾りたい』と依頼してくれる方のために、書きたいと思ってるんよ。原価や労力をお金に置き換えるのが下手!商売には向いとらんのんよ」と笑う。

これは便利!~中国の辞典アプリ

   書法辞典

   書法辞典

2016年9月、上海に行ったとき張先生に教えてもらったこのアプリは実に便利である。

 私が隷書の臨書で初めて書いたのは「張遷碑」である。張先生に「初めて隷書を学ぶならば基本の筆の使い方がはっきりとしていてわかりやすいから・・」と勧められた。
 隷書体はそれまでも部分的に日本で月例の課題として書いてはいたものの、よくわからなかった。先生に教えてもらってもそのように筆は動かない。何が違うのかもわからなかった。

 「日本人が一番苦手なのが隷書」と10年東京で書道に携わっていた張先生はいう。
 目の前で書かれる先生の筆の動きは、それまでの私が知っていたものと全く別のものだった。
 そしてもう一つ張先生が指摘したことは、「日本人は隷書の基本をわかっている人が少なく、誤字が多い」ということだ。

 ほとんどの日本人は臨書をするとき、書道出版社の拓本の写真を見て練習をする。一文字ずつ字典を引く人は少ないだろう。拓本にある白い部分が欠けたものなのか、印刷の不明瞭さを適当に解釈してしまうことが多い。私も確かめようと「隷書辞典」を引いたこともあるが、そこにも不明瞭なままの印刷文字しかなかった。

「曹全碑」の臨書を書いて上海にメールで送ると、張先生の返事は「あなたは正しい解釈をしていない」と返ってきた。しかし私には何が間違っているのかさえわからなかった。
解釈については別の機会にするが、まず「誤字」を書かないことが大前提である。そのために先生が教えてくれたのがこのアプリ!

書法辞典 http://www.shibeixuan.com/

中国語で書かれてはいるけれど「書体」と調べたい文字を一文字入れて「査字典」を押すだけで、同じ文字で同じ字体なのに、いろいろな人の書いた文字を鮮明に見ることができる。
拓本でははっきりわからなかった部分がわかるのである。「目から鱗」の気分だった!
もっと早く知りたかった・・・(^_^;)

 日本の著名な先生が上野の美術館で行われている臨書展を見に行かれた感想を読んだことがある。「かなり書歴も長く多くの弟子を持っている人でも誤字を書いている。もっと辞典を引くべきだ」と。
 日本にある辞典を引いても分からなかったことが、このアプリで解決したことは本当に嬉しかったし、多くの人に使って欲しい。
 またこれは臨書だけでなく、日本ではあまり聞いたことのない(私だけかもしれないが)人の文字もある。初めて見た行書の崩し方など、創作をするときの参考になると思うので是非とも活用していただきたいm(_ _)m

2016-09-26 | ブログ記事

「文責」と「落款(らっかん)」

 私は三十三年間、教員をしていた。自分の書いた文章には「文責 池尻」と書くものだと教えられた。意味は文字通りである。

 サイン程度に思っていた三十歳の頃だった。私の文章の問題を外部から指摘された。報告書で他者の引用ではあったが、確かに問題があったし、そのことに気づかなかった私の甘さが指摘された。その責任について、当時かなり深く追求されることとなり、私一人の問題ではなくなり・・私には忘れられない出来事となった。
 それ以来、「文章は一人歩きする」ということを常に意識してきた。

 書を始め、書くこと以外いろんなことを学ぶ中で、落款を押すと言うことは「文責」と同じことなのだと思った。自分作品に責任を持つ。未熟な時期の作品は恥ずかしいがそれも含めて、自分の作品には責任を持つということだ。

 先日、知人に初めて連れて行かれた居酒屋でとても驚いた!そこには私の師の文字があったからだ。でもよく見れば署名も落款も無い。先生は絶対にそのようなことをしない人だ。きっと先生の書を見る機会が多く似てしまったのだろう。

 店主は「御祝いだから署名と落款は書きません!って言われて頂いたんですよ」と喜んでおられた。
 店主から書いた人はやはり同門だったと知ったが、私は黙って店を後にした。

 人それぞれだが、私は「文責」同様「落款」を押して恥をかきつつもよりよいものを目指して作品を作り続けたいと思った。

2016-09-23 | ブログ記事

「嬉しい贈り物」~月餅

日本にある中国領事館に通訳として勤める「彼女」から北京からわざわざ取り寄せたという月餅が届いた。

「彼女」との出会いは五年前・・・

私が言葉も分からず無謀にも上海に行き、慌てて中国語を学ぶために孔子学院を訪れたときだった。一年間、中国から交流学生として一人で福山に来た北京大学院生。孔子学院で中国語を教えながら日本文化や日本語を学ぶのが目的だった。

私は「彼女」の初めての生徒で、私にとっては初めての中国語の先生だった。

日本語は難しい。いくら中国の外国語学院で学んでも一人暮らしをするには二十代前半の彼女には孤独な日々だった。

それでも一生懸命日本語を覚えようとする「彼女」常にメモ帳を持ち歩き、分からない言葉や習慣があるとメモをとっていた。

勢いで中国に通うことになった私は、彼女から中国のことを学び、私は「彼女」に日本語と日本の文化を教えた。

日本の正月、孔子学院は休みになる。2月に帰国する「彼女」を、大晦日に我が家に泊めた。日本の正月を知って欲しかったからだ。

「彼女」を一目見て母は「まあべっぴんさんじゃね」と言った。彼女には全く意味が分からなかったようだ(^_^;)

我が家に居る間、私は備後弁の通訳になった!

裏山の小さな神社に初詣にも行った。丁度、尖閣問題もあり御神酒の入った人からは、露骨に中国人への不満も聞いた。偏見ではあるが現実でもある。

一泊二日、お雑煮を食べた「彼女」は手作り餃子を食べさせたい!と材料を買ってきていた。

水餃子は両親には珍しかったが、本音は慣れた焼き餃子の方が美味しいと思っていた。でも「彼女」の心遣いが嬉しかった。

その「彼女」が帰国して外務省に入り、昨年、通訳として日本の領事館にやってきた。一年に一度くらいメールのやりとりをしていたが、先日電話がかかってきた。

「北京で一番有名な月餅を取り寄せたので送りますから住所を教えてください」と。

日頃、菓子類はほとんど食べない私だが、一切れ食べてみた。たぶん私が食べた月餅の中では一番美味しいものだった。

出会って五年。ご縁に感謝!

近況報告

2016.9.11~9.13 上海に行ってきました。その際に撮影した写真です。

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上海科技教育出版社にて

出来上がった本をもって著作権契約内容を確認して了承を得ました。
中央が上海師範大学教授張信先生です。隣は出版社の社長。その他のスタッフも女性ばかりですが、中国ではそれは珍しいことではありません。

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上海師範大学入口にて

上海師範大学では張先生の指導を受けました。大通りを挟んでキャンパスが広がり、経済学部はバスで行きます。

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大学キャンパス内の並木通り

多国籍の生徒がいます。現在留学生だけでも一万人を超えていると聞いています。

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大学内のモニュメント

構内には池や岩など自然と緑がいっぱいです。

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宿泊先の窓から見える景色

5年間、ほとんどこのホテルに宿泊します。先生の家の近くだからです。
上海体育館の近くで、市内の中心部。13階からの景色です。

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空港内にて

9.11とG20の関係なのか、今までにない警備体制でした。
空港入り口にセキュリティーが設けられていました。
行くたびに広くなる上海裏浦東空港です。

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上海ダック

上海ダックは身も食べます。

竹の中と豚肉の白湯スープ

竹の中と豚肉の白湯スープ

竹の中はシナチクの薄い感じ。絶品でした。( ^∀^)

上海は海と川があり魚も野菜も美味しい!!
辛くなく日本人が好みだと思います。
私は大好きです。

ではまた\(^^)/

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